阪神・淡路大震災から30年~経験をもとに今後に備える~
阪神・淡路大震災が起こった1995年1月17日、神戸にあるロック・フィールドの本社および神戸ファクトリーも被災しました。近くの国道43号線では上を走る阪神高速道路が横倒しになり、本社ファクトリーのある埋め立て地では液状化が起こったため、神戸ファクトリーは一時稼働停止せざる負えなくなりました。
この災害について当時どんなことが起こり、従業員たちはどのように復旧を目指したのか。そして何を教訓として得たのかを、インタビューをもとにした記録を残し、社内報などを通じて社内で語り継いできました。
今回は阪神・淡路大震災から30年の節目に、震災を経験した企業として、その記録の一部を皆さんと共有したいと思います。誰にでも起こりうる自然災害に備え、一人ひとりの防災意識が高まることにつながればと願っています。
その時、従業員たちは何を感じ、どう復旧を目指したか
当時の神戸本社は震災発生2か月前に新築したばかりで、建物の一部に沈下があったものの大きな被害は免れました。しかしながら、神戸ファクトリーでは、屋上の給湯タンクの転倒やボイラーの破損、ライフラインの完全停止により、操業停止を余儀なくされました。また、神戸市東灘区第三工区は液状化で泥海となり、出勤する社員の足にも大きな影響を与えました。
このような厳しい状況のなか、震災直後から復旧活動に奔走した従業員たちが何を感じ、どう復旧を目指したかについて毎年1月の社内報に掲載している社員インタビューを紹介します。
従業員の安全が第一
「会社との連絡が取れないまま避難所の体育館で生活していると、総務部長が避難所に現れ、『生きとったんか!よかった、よかった』と声をかけられました。聞けば、全従業員の安否確認を行う部隊が結成され、連絡の取れない従業員の家を尋ねて回り、不在の場合は近所の人に避難先を聞き、避難所を一箇所ずつ探していたそうです。陥没している道路やガレキで塞がれている道を朝から晩まで歩き回るのは本当に大変だったと思います。会社が従業員を第一に考えてくれたことを実感しました」(川崎さん 当時の所属:神戸ファクトリー生産担当)
「会社は大丈夫」のメッセージを込めて
「震災3日目に本社に出社すると、まだ片付いていない寒く薄暗いオフィスの一角に机を並べて、経理部のメンバーが仕事をしていました。岩田社長(当時)から『被災した従業員は今お金が必要。給与の支払いは絶対に遅らせてはいけない』と指示があり、発電機でコンピューターを稼働させ、従業員への給与計算をしていました。1月末に無事給与が振り込まれました。被災地の社員はもちろん、被災地以外の社員には、『会社は大丈夫!』というメッセージが込められた大切な支払いだったと思います」(福井さん 当時の所属:神戸北野RF1 MaR店)
一緒に働く仲間からもらった勇気
「当時感じたことは『一人では何もできない、全員が力を合わせること』です。何より感激したのは、神戸ファクトリーの近隣のパートナー(パート勤務の方の呼称)さんが、歩いて来てくれて『早く働きたい、一緒に頑張りたい』と言ってくれたことです。自らも被災されながら会社に来てくれたことに勇気をもらったと同時に、必要とされていることへの感謝と使命感をひしひしと感じました。あれほどの災害でしたが、不思議に絶望感や悲壮感は感じませんでした。一緒に働ける仲間がいたこと、待っている人がいてくれたこと、そして働ける喜びがあったからなのではないかと思ってます」(池尾さん 当時の所属:神戸ファクトリーの生産担当)
「ありがとう」に惣菜の価値を再確認
「勤務していたそごう神戸店の建物は被害が大きく復旧のめどがたたなかったため、南京町の神戸コロッケ元町店に応援に行きました。しかし地震で元町店の店舗自体は傾き営業ができなかったため、南京町の広場にテントを張って仮設営業を行いました。震災直後は、インスタント・レトルト食品など非常食を食べることが多かった被災地の方々に、揚げたてのコロッケを提供できたことで、お客様から『本当にありがたい』『心が落ち着く』という言葉をかけていただきました。改めて惣菜の存在価値を再認識しました」(山口さん 当時の所属:神戸コロッケそごう神戸店 )
日本中のお客様、お取引先様の支えに感謝
「当時は『神戸洋食カツレツ』『神戸コロッケ』など『神戸』を標榜した商品やブランド展開をしていたので、震災後はお客様から『大変ですね』という声を多くかけていただき、日本中のお客様が『神戸の会社でしょう。頑張って』と言って商品を買ってくれたのです。お客様、お取引先様にとても温かく対応してもらえたことが大変ありがたかったです」(北川さん 当時の所属:東日本販売部)
今伝えたいのは、備えることの大切さ
近年、BCP(Business Continuity Plan )の重要性が増しており、ロック・フィールドでも危機管理室にて備えを固めています。
自身も本社の近くに住んでいて被災したという危機管理室室長の有本さんに、当時の教訓をもとにした今後の備えについて聞きました。
「実は震災の日、私はハネムーンに出かけるため、本社の近くにあった家の近くを歩いているところだったんです。ドンドンドドドという強烈な縦揺れで、尻もちをついた私は、そのあとなす術もなく四つん這いになっていました。そこは、たまたまJRの高架下だったので、建物から降ってくるガラスや倒壊するがれきの下敷きになることを免れました。その後聞いたドーーンというものすごく大きな音が、近くの高速道路が横倒しになった音だったというのは後で知りました。幸い運が良く命は助かりましたが、周りの被害を目の当たりにし、もし少しタイミングが違えば倒壊した建物の中にいたかもしれない。もし高架が落ちてきていたらなど、様々な思いが巡りました。
そんな体験を経て、今思うことは、防災管理は日常管理ということです。「たまたま」「運が良かった」と運に助けられるだけでなく、日常の中で災害に対して備えられることがあると思うようになりました。
南海トラフ地震は、近い未来必ず起こるといわれています。今日は震災への備えについてお伝えできればと思います。
備え1 | 地震が起きた瞬間の行動を体に覚えさせておくこと
1、まず低く
2、頭を守り
3、動かない
屋内にいる時は、机など台の下などにしゃがみ込むといいのですが、屋外などで適当な台がないときは、上着をかぶってしゃがむなど臨機応変な対応が必要です。条件反射でできるくらいに訓練しておくといいかもしれません。
備え2 | 歩き続ける足腰をつくっておくこと
防災管理は健康管理とも言えます。素早く逃げられる体をつくっておくこと。特に、震災が起こると交通機関が麻痺し、何時間も歩くことが想定されるため、足腰を強化しておくことが大切です。日々の生活の中で、ちょっとだけ歩く、階段を使うなどを習慣にしておくといいと思います。
備え3 | 家族の安否をはじめ、必要な情報を得る方法を確保しておくこと
災害時は多くの情報が錯綜します。大切な情報をどう入手するかが非常に大切なことだと実感しました。
◎ 家族と避難時の取り決めをしておくこと
◎ 身近な人達との安否確認の方法を決めておく
◎ 信頼できる情報源をみつけておく
地震の瞬間、一番気がかりだったのは家族の無事。飼っていた犬の安否も気になりました。私は幸いすぐに会えましたが、何かあった時はどこに避難するか、どうやって連絡を取り合うかなど、事前に決めておくといいと思いました。
また、阪神・淡路大震災当時は携帯電話がそれほど普及はしていなかったのですが、口コミでデマも含め様々な情報が飛び交っていました。その中で、頼りにできる情報源としてラジオを聞けたのはありがたかったです。その経験を踏まえ、ロック・フィールドでは、「従業員と家族のための緊急時ポータルサイト」を立ち上げ、緊急時の伝言板をはじめ、災害発生時の対応についての情報を共有できる体制をとって活用しています。」
何度もシミュレーションしておくことが大切
平時に災害時のことを危機感を持ってシミュレーションするのは、なかなか難しいものですが、まずは、一度ハザードマップの確認や、防災グッズの点検など、今すぐできることから行動にうつしてみませんか?